どうもkomeです。
今日はバカラにまつわる面白い?恐い?話を記事にしていきたいと思います。かなりためになる記事なので最後まで読んでくださいね!
そもそもバカラについてはカジノで遊ぶ人にとっては聞きなじみのあるゲーム、あるいは『俺はどっぷりやっているよ』という方が多いのではないでしょうか??
【秒速で1億稼ぐ男】与沢翼氏も一時期シンガポールを拠点にして、バカラを生業の一部として生活をされていました。
【破産】
を意味します( ;∀;)笑
大王製紙の元会長もこのバカラで108億円もの大金を溶かして、大きなニュースになっていましたねw
そんなバカラにまつわるお話を今回はお届けします。
この記事の内容
カシワギアキオの話
※森巣博著書『賭けるゆえに我あり』から引用
一手の勝負に大口の賭金を張る賭人達の事を、カジノの世界では『ハイローラー』と呼ぶ。この『ハイローラー』の中でもさらに大口な打ち手は『鯨(ホエール)』と呼ばれる。眉の毛一本動かさずに一手で2500万円相当張ってしまう連中だ。
事前にカジノとの合意があれば、この上限賭金は、一手100万ドル(1憶2000万円)まで跳ね上がる、と言われている。もっとも、一手100万ドルもの大賭金を受け取ってくれるハウスは、世界中に数店しかない。どこだかは書かないが、そのすべてはアジア太平洋地域にある。
現在地球上には、約300頭の『鯨』が太平洋を泳いでいると囁かれる。
どの大手ハウスでも、『鯨』関連の情報はトップ・シークレットとして秘されているので、正確なところは分からない。
30年ほど昔なら、石油で肥え太ったアラブ系が多かったのだが、現在では『鯨』のほとんどが、中国系である。
私の知る限り、日本人の『鯨』は2頭いた。(この稿が書かれてからしばらくして『大王製紙前会長特別背任事件』が発覚している。その主人公・井川意高は、ぎりぎり『鯨』認定されると考えるので、3頭が正しいのかもしれない)日本人『鯨』が2頭『居た』と、過去形で書いた。2人とも、死んじゃったのだから。
1頭は、日本でよく知られている消費者金融で財を成したTであり、もう1頭は、日本でほとんど知られていないカシワギアキオという男だった。
カシワギの出目は、貧しい。
大学には行かせてもらえず、高校卒業後しばらく富士山の強力をやっていたらしい。強力というのは、登山者の荷物を背負って、道案内をする者の事である。
どこでどう裏経済と結びついたのかは不明だが、カシワギは河口湖周辺の土地開発、不動産業、および不動産関連の事業で成り上がっていく。
バブル怪人の見本みたいな男だった。
カジノで博打を打つ大口客がほとんどがそうであるように、カシワギが先行した種目は、バカラである。
サムライ・カシワギの登場
日本でバブル経済がほぼ頂点に達した1990年1月に、カシワギはオーストラリアの北部自治領ダーウィンにあるダイヤモンドビーチ・カジノに現れている。勝負卓が三十台もない、小さなカジノである。しかし、大きな勝負を打たせるので、当時その名は、世界中で轟き渡っていた。
このカジノの全盛期に、私も行ったことがある。一枚10万豪州ドル(当時の為替交換率で800万円相当)の価値を持つビスケットを、それが癖なのか重ねて手の内でシャッフルしながらバカラを打っている二十代の青年がいて、わたしは肝を潰したものである。
ちなみに、ほとんどの大手カジノでは、一枚10万ドル以上の価値を持つものは、円形ではなくて楕円形や長方形をしていて、これを『チップ』と呼ばずに『ビスケット』と慣わしだ。ついでだが、のちにダイヤモンドビーチ・カジノは、ヴェガスを本拠とするMGMグランドに買収され、さらにニュージーランド系資本のスカイ・シティに売られた。
話を戻す。1990年1月、カシワギはダイヤモンドビーチ・カジノでの三泊四日に及んだ勝負で、勝負卓に敷かれたグリーンの羅紗(ラジャ)の下から、23億円相当を掘り起こした。見事な、鮮やかな勝利である。(29億円の勝利と日本では報道されたらしいが、わたしがダイヤモンドビーチ・カジノ関係者から直接聞いた話では、当時の為替交換率で換算すると、23億円相当の勝利だった)
30万豪州ドル≪2400万円≫のマキシマム・ベット(一手に張ることが許された上限の金額)で十七連勝したこともあったらしい。博打における一種の憑依現象が、カシワギに起こったのだろう。
これがあるから、博打は面白い。
そして、これがあるから、博打は怖い。
それで博打は、やめられなくなってしまう。
それまでのカシワギは、ハイローラーの中でも、大口の部に属していたかもしれないが、決して『鯨』と呼ばれる賭人ではなかった。ところがこの時の勝利により、『スローニン』カシワギは、一気に『サムライ』に格上げされ、『鯨』賭人の列に加えられる。
たまたま時流に合って、河口湖周辺の土地開発・土地ころがしで財を成した男だった。バブル怪人・カシワギは、我と我が身を忘れた。
浮かれ上がり、中空で舞った。
そして、博打で生き残るために必要不可欠な徳目、『自制心』を失う。
自己をコントロールできなければ、博打には勝てない。
皮肉なことだが、この大勝をもぎ取った瞬間、カシワギの目前に地獄への穴ぼこが開かれたのである。
この勝利を収めてから一か月も経たない1990年2月に、バブル怪人カシワギは、アメリカ合衆国東海岸にあるニュージャージー州アトランティック・シティに、その姿を現した。
攻撃目標は、当時そこで最大のカジノだったトランプ・プラザ。
名前から分かるように、ニューヨークのディベロッパー、『ザ・ドナルド』ことドナルド・トランプが所有するハウスだ。
『ザ・ドナルド』については、その自伝が日本で翻訳されているので、詳しく触れる必要はなかろう。『ジ・エコノミスト』誌は、彼の個人資産を、約4000億円と推定している。そのわりには、ディフォルトの噂が絶えない、不思議なオッサンである。噂だけではなく、のちに実際にデフォルトしちゃった笑
1990年2月、トランプ・プラザでのカシワギは、ダーウィンカジノで掘り起こした幸運の女神を、まだ引き連れていたようだ。わずか十時間ほどの勝負で、620万ドル(当時の交換率で、約9億円)の簡単な勝利。
この快勝以降、サムライ・カシワギのニュースは三か月ほど途絶えた。
ということは、負け続けたのだろう、と私は邪推する。
邪推の根拠を述べよう。
カジノの世界では、客の大勝は意図的にリークされる傾向がある。
『賭人大勝』のニュースは、業界にとって最良のパブリシティであるとする共通認識が、そこにはあるからだ。
一方それと反比例するように、『賭人惨敗』のニュースには、誰もが口を閉ざす。負けた本人も、語りたがらない。
『いや、5万ドルもやられたよ』
カジノでは、時として盛大に負け自慢をするオッサンたちに出会う。
しかしこのての連中は、だいたいは身を削られるような深刻な博打を打ったことがない。じつはションベン博打を打っているのだが、負けを誇大に申告する事によって、自分の器量を大きく見せようと試みているだけなのである。
つまり、あほである。いや、失礼。わたしにとっては、大切なお客さまだ。
したがって、業界と利害関係を持たない誰かが、自分の目で目撃しそれを伝達しない限り、大口賭人の惨敗の事実は、闇から闇へと葬り去られてしまう事の方が多い。
1990年5月になって、サムライ・カシワギの行動が、再び記録された。どこでどう情報を入手したのかは不明ながら、アトランティック・シティの地元紙が報道している。
この時のカシワギは、六日間におよぶバカラ勝負で、きっちり1000万ドル(約12億円)の敗北。
ーーーー勝てば幸運、負ければ実力。
これがカジノ賭博における基本原則である。
バブル怪人には、理解できなかった基本原則だったのだろう。
その後も、カシワギは負け続けたようだ。
それでもカシワギが、北米やアジア太平洋地区のカジノに頻繁に出入りしていたのは間違いない。わたしの知り合いが、あちこちのハウスでカシワギを目撃している。
おそらく、やられた分を取り戻そうと試みたのだろう。
負けても負けても、サムライ・カシワギは、カジノに挑戦した。
こうなってはもうアウト。這い上がろうとすればするほど、死期を早めるだけなのだ。
やれば負ける、と自分ではわかっているのである。納得済みだ。それでも、ハウスに向かっていく。意地となって、無謀な勝負に挑む。
永い間、博打を打っていると、こういう心理的窮地に追い込まれてしまうことが必ずある。
絶対にある。
何のために、闘うのか?
どうして闘うのか?
その目的も理念も忘れ去り、ただ闘っているという現実だけが再重要事項となってしまうのである。
自分の内部に生まれた亀裂を隠蔽するためだけに、博打を打つ。
どうやらカシワギは、ヤバい筋の金を引っ張ってまでして、ハウスに勝負を挑んだようだ。
オーストラリア北部自治領ダーウィンのダイヤモンドビーチ・カジノで23億円相当の大勝を収めてからちょうど2年後の1992年1月3日、日本人としては珍しく『鯨』賭人の列に加えられたサムライ・カシワギは、富士山麓にある通称『バカラ御殿』の自宅の居間で、全身十数か所を、刺され、えぐられ、ちょん切られた惨殺体となって発見された。
付け加えると、このように凄惨を極める殺害方法を、北米の地下社会では、”CONFIRMATION(堅信礼)”と呼ぶ。ある個人が、キリスト教の教養を受け入れたことを内外に公示する儀式を意味した宗教用語である。
すなわち、サムライ・カシワギの無惨な死は、世界中に公示された。見せしめのための殺人だったのだろう、と私は考える。人知れず駿河湾に沈めても、意味はない。貸した金は、どうせ戻っては来ないのだから。
いろいろな噂が広がっているのだが、カシワギに”CONFIRMATION”の儀式を執り行った人物は、現在に至るまで特定されていない。
柏木昭男殺人事件は、2007年1月に公訴時効が成立した。
以上になります。
本文の随所でギャンブラーとして心得ておきたい内容の文字がたくさんありました。特に私はその中でも、
『勝てば運・負ければ実力』
この言葉が非常に大切だなと感じました。
慢心せずに、謙虚な姿勢で博打を打つことが破産のリスクを最大限少なくするマインドセットだと私は考えています。
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